第3回 岡崎公園

  明治4年(1871)の廃藩置県後、岡崎城は廃城となり城郭が取り壊され、城地は荒廃した。これを憂えた旧藩士らによって保存運動が起き、その結果、明治8年(1875)に旧本丸の区域が公園となった。明治28年(1895)、愛知県議会で公園を旧藩主の本多家に払い下げることが議決された。同36

年(1903)、町費にて乙川と伊賀川の堤に桜・楓を植樹。同42年(1909)、千賀又市町長より本多家に譲り受けを申請し、岡崎町が維持管理につとめることになる。

 大正5年(1916)、岡崎の市制が施行されるのに伴い、公園改造の機運が高まりを見せる。そこで、市は本多家から公園地の寄付を受け、林学博士の本多静六・林学士の田村剛の設計案を勘案して、同8年(1919)から11万円余り(県と市で折半)を投じて整備につとめた。その結果、図書館の新築、猿舎及びくじゃく舎の建設、運動場の整備などが行われ、近代的な総合公園として生まれ変わった。

 昭和2年(1927)、愛知県新十名所第一位に当選。それ以降、東照公産湯井戸碑の建立・児童遊園の開設、洋風花壇の新設など、第二次の公園整備が行われた。昭和20年(1945)、空襲により園内にあった県立岡崎病院や市立図書館を始め大部分を焼失。戦後は、桜まつり、夏まつり(花火大会)、藤まつりが相次いで開催されるようになった。同34年(1959)には岡崎城天守閣の復元などの整備が進んだ。岡崎公園は桜の名所として知られ、平成2年(1990)には日本さくら名所100選に選定されている。
 
  元岡崎市文化財保護審議会会長 渡邉 則雄 

(写真)大正期の岡崎公園。現在の神橋付近に、欄干のない通直な木橋がかかっていた。

大正期の岡崎公園。現在の神橋付近に、欄干のない通直な木橋がかかっていた。

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