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岡崎市のゆかりのまちについて知りたい。


最終更新日:平成30年3月6日
ページID:30043
 


岡崎市は現在、国内3都市とゆかりのまち提携(昭和58年7月1日)を結び、交流をしています。

長野県佐久市(旧臼田町)
神奈川県茅ヶ崎市
岐阜県関ケ原町

【佐久市とのゆかり】
 文久3年(1863年)、大給松平氏最後の藩主・第11代奥殿藩主松平乗謨公(まつだいらのりかた)は、奥殿にあった陣屋を信州佐久一万二千石の中心地、田野口(現佐久市)に移し、龍岡藩を築きました。松平乗謨公は明治維新後、大給恒(おぎゅうゆずる)と改名し、賞勲局総裁に就任、現在の勲章制度の礎を築くとともに、博愛社(現在の日本赤十社)の創立にも尽力しました。

【茅ヶ崎市とのゆかり】
 名奉行として有名な大岡忠相公(おおおかただすけ)の祖先はもともと三河の出身で、家康に仕えていました。2代忠政公が家康の関東移封に従い、相模国高座郡堤村(現茅ヶ崎市)に知行地を与えられました。そして、8代将軍吉宗の厚い信頼を受けた忠相は、優れた行政手腕を発揮し、数多くの功績を残し、72歳のときに三河に知行地を加増され、額田郡西大平(現岡崎市大平町西上野)に陣屋を置きました。

【関ケ原町とのゆかり】
 天下分け目の戦いとして有名な関ケ原の合戦は、徳川家康公がその命運をかけて臨んだ一大決戦でした。慶長5年(1600年)9月15日朝、たちこめていた霧が晴れるとともに合戦の火蓋がきられ、一進一退を続けましたが、西軍小早川秀秋公の寝返りによって戦況は急変し東軍の大勝となりました。この戦いにより徳川家康公は対抗勢力を一掃し覇権を確立、徳川幕府300年の礎を築きました。

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