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岡崎藩の藩主はどのように替わりましたか


最終更新日:平成30年3月30日
ページID:31771
 


幕藩制度が敷かれてからは、岡崎藩主には幕府の要職に就く譜代大名が封じられました。慶長6年(1601)に上州白井から本多豊後守康重が移封され、本多氏が正保2年(1645)までの44年間岡崎藩主として岡崎藩を治め、正保2年より三河吉田から水野堅物忠善が移封され、水野氏が宝暦12年(1762)までの118年間治めました。同年に下総古河から松平康福が移封されてきましたが、明和6年(1769)まで治めたのみで、石見国浜田から本多中務大輔忠粛が移封され同年(1769)から明治の廃藩置県まで治めます。
               就封年  所領高(石高) 備考    
 本多家(ほんだけ)[前本多家]   
  本多康重(やすしげ) 1601  5万
  本多康紀(やすのり) 1611  5万
  本多忠利(ただとし)  1623  5万5千    5千石加増
  本多利長(としなが)  1645  5万5千    遠江横須賀藩へ移封
 水野家(みずのけ)
  水野忠善(ただよし)  1645  5万
  水野忠春(ただはる) 1676  5万      寺社奉行・大阪仮城代
  水野忠盈(ただみつ) 1692  5万
  水野忠之(ただゆき)  1699  6万      1万石加増・京都所司代・老中      
  水野忠輝(ただてる)  1730  6万
  水野忠辰(ただとき)  1737  6万
  水野忠任(ただとう)  1752  6万      肥前国唐津へ転封
 松平家(まつだいらけ)
  松平康福(やすよし)  1762  5万4百   石見国浜田へ転封・大阪城代・老中   
 本多家(ほんだけ)[後本多家]          本多忠勝の系統
  本多忠粛(ただとし)  1769  5万
  本多忠典(ただつね) 1777  5万
  本多忠顕(ただあき) 1790  5万
  本多忠考(ただなか) 1821  5万
  本多忠民(ただもと)  1835  5万      京都所司代・老中
  本多忠直(ただなお) 1869  5万      版籍奉還(1871) 


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