過去の展覧会 「そこに在るということ-歴史・美術にみる存在の印-仮託する・典型化する・写し取る・痕を残す・痕を消す」

最終更新日平成27年6月15日ページID 018229

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収蔵品展

古文書 みりょく発見!

そこに在るということ-歴史・美術にみる存在の印-仮託する・典型化する・写し取る・痕を残す・痕を消す

平成26年12月2日(火曜日)から平成27年1月18日(日曜日)

 

 そもそもあらゆる造形活動は、見えないものに形を与え、それらを残すためにあったのだと
言えるでしょう。ルネサンス時代の理論家アルベルティが、「或る人々は、絵画というものは
人々に礼拝された神々を表わしたものだと考えている。確かに絵画は死すべきものである間にとっては、最も大きな賜物であった。つまり、われわれと神々とを結び付け、またわれわれの魂を宗教心で満たしてくれるあの敬虔な気持ちを保つのに、絵画が大いに役立っているのである。」と述べたように、私たち人間は、洋の東西を問わず、本来、姿形をもたない神や仏を、象徴的な事物に置き換えたり、動植物の形に仮託したり、あるいは具体的な「人形(ひとがた)」に表すことによって、祈りを捧げてきました。また同じく中世・ルネサンス以来数多く描かれてきた肖像画も-今では写真がその役割を担っているとも言えますが-、すでに死んでしまった人間に、また死すべき運命にある人間に、半永久的な命を与えるためにあるのだとも言えるでしょう。それらのうちには、一つの「型」として、長く受け継がれているものもあれば、写実に基づく「近似性」によって、形見のように受け継がれているものもあります。
 一方、自画像はどうでしょうか。水面に写る自己を見つめるナルキッソス。その美しい姿に我と知らずに恋をしたナルキッソスは、やがて憔悴して死を迎える。この有名なナルキッソスの神話は、私たちが、鏡-いまでは、写真や映像-介してしか己の姿形を
知り得ず、自己のイメージは、他者の眼を通して、事後的にしか獲得できないことを示しています。それゆえ、多くの芸術家によって描かれてきた自画像は、「芸術家」としての自己を見定め、そのアイデンティティを確保しようとした彼/彼女らの試みの証とみることができるでしょう。そして近年では、そのような近代的な自我への疑いも込めて、敢えて、作品の中から自己の痕跡を消し去ろうとする作家たちの活動も認めることができます。
 本展では、岡崎市収蔵作品を基に、古く縄文時代の土偶にはじまり、東西の神々の造形、また、名もなき人々が残した存在の痕跡に加え、多くの作家たちが試みた肖像画や自画像まで幅広く取り上げ、「在る」ということ、在るという印について、探ります。

                                                     

開館時間

10時から17時

観覧料

一般:300円 小中学生:150円

休館日

月曜日(ただし1月12日【月・祝】は開館、1月13日(火)は休館) 12月28日(日)~1月3日(土)

主催

岡崎市美術博物館

展示説明会

12月21日(日) 1月11日(日) 14:00~

担当 当館学芸員

 

 

お問い合わせ先

美術博物館

電話番号 0564-28-5000ファクス番号 0564-28-5005

〒444-0002岡崎市高隆寺町峠1番地
開館時間 10:00から17:00まで(最終の入場は16時30分まで)