Q.岡崎藩の藩主はどのように替わりましたか
回答
幕藩体制が成立すると、岡崎藩主には幕府の要職に就く譜代大名が代々封じられました。慶長6年(1601)に上総国白井(現在の群馬県渋川市)から本多豊後守康重が移封され、本多氏が正保2年(1645)までの44年間岡崎藩主として岡崎藩を治め、正保2年より三河国吉田(現在の愛知県豊橋市)から水野堅物忠善が移封され、水野氏が宝暦12年(1762)までの118年間治めました。同年に下総古河(現在の茨城県古河市)から松平康福(まつだいら やすよし)が移封されてきましたが、明和6年(1769)まで治めたのみで、石見国浜田(現在の島根県浜田市)から本多中務大輔忠粛が移封され同年(1769)から明治の廃藩置県まで治めます。
就封年 所領高(石高) 備考
本多家(ほんだけ)[前本多家]
本多康重(やすしげ) 1601 5万
本多康紀(やすのり) 1611 5万
本多忠利(ただとし) 1623 5万5千 5千石加増
本多利長(としなが) 1645 5万5千 遠江横須賀藩へ転封
水野家(みずのけ)
水野忠善(ただよし) 1645 5万
水野忠春(ただはる) 1676 5万 寺社奉行・大阪仮城代
水野忠盈(ただみつ) 1692 5万
水野忠之(ただゆき) 1699 6万 1万石加増・京都所司代・老中
水野忠輝(ただてる) 1730 6万
水野忠辰(ただとき) 1737 6万
水野忠任(ただとう) 1752 6万 肥前国唐津へ転封
松平家(まつだいらけ)
松平康福(やすよし) 1762 5万4百 石見国浜田へ転封・大阪城代・老中
本多家(ほんだけ)[後本多家] 本多忠勝の系統
本多忠粛(ただとし) 1769 5万
本多忠典(ただつね) 1777 5万
本多忠顕(ただあき) 1790 5万
本多忠考(ただなか) 1821 5万
本多忠民(ただもと) 1835 5万 京都所司代・老中
本多忠直(ただなお) 1869 5万 版籍奉還(1871)