Q.北野廃寺跡について教えてください。
回答
北野廃寺跡は、聖徳太子より少し後の大化の改新以降(7世紀半ば)の白鳳時代に建立された寺院跡です。豪族物部(もののべ)氏の氏寺(うじてら)とされています。東西126.5m、南北146mの寺域の四方に土塁がめぐり、中央に南から北へ向かって南大門、中門、塔、 金堂、講堂、僧房が一列に並ぶ四天王寺式の伽藍配置(がらんはいち)の古代寺院跡です。出土品には、日本では他に例を見ない高句麗(こうくり)の流れを引く文様(もんよう)を持った軒丸瓦(のきまるがわら)や堂塔の壁面を飾ったせん仏、瓦塔(がとう)、緑釉陶器(りょくゆうとうき)、灰釉陶器(かいゆうとうき)などがあり、中でも青銅製の磬形垂飾(けいがたすいしょく)は、正倉院とここにしかない貴重なものです。
北野廃寺跡は、大阪府の四天王寺や奈良県の法隆寺の若草伽藍跡などでしかみられない伽藍配置が地方ではっきりと確認された例として非常に希なものであり、出土品からみても大陸の仏教文化の流れが直接確認できる寺院跡として非常に重要な史跡です。
現在、歴史公園として整備され、四天王寺式伽藍配置がわかるように表示されています。
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