国指定:史跡 大平一里塚

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ページ番号1004729  更新日 2026年1月23日

写真:大平一里塚


慶長9年(1604)、江戸幕府によって五街道の制が定められ、江戸日本橋を起点として、街道の両側に一里(約4キロメートル)毎に榎を植えた塚が築かれました。東海道の一里塚は永井弥右衛門白元(ながい やえもん あきもと)、本多佐太夫光重(ほんだ さだゆう みつしげ)が奉行となり、公領は代官、私領は領主に造築を命じました。
この大平一里塚は、当時西大平を領していた「鬼作左」の異名で知られる本多重次(ほんだしげつぐ)の息子の成重(なりしげ)が築いたとされています。市内では他に東より、本宿(本宿町一里山)、藤川(藤川町一里山)、矢作(矢作町矢作橋西詰)にもありましたが、この内、現存するものは大平の一か所のみとなり、かつ、この大平一里塚も昭和3年(1928)の道路改修の際に北側が破壊され、南側の塚のみが保存されています。当時、塚の大きさは五間四方(一間は約1.8m)ありましたが、現在は高さ2.4m、底部縦7.6m、横8.5mとなっています。塚の中央には樹齢350年の榎が茂り、代表的な一里塚の景観を残していました.しかし、昭和28年(1953)の台風により倒れ、現在はその後植えられた若榎が樹勢よく伸びて、風情を保っています。

ふりがな
おおひらいちりづか
指定(種別)
国指定(史跡)
面積等
62.00平方メートル
指定年月日
昭和12年12月21日
所在地
岡崎市大平町字岡田
所有者
岡崎市
時代
慶長9年(1604)
公開情報
通常見学可
参考文献
  • 『新編岡崎市史 第3巻 近世』新編岡崎市史編さん委員会、1992年、592-594ページ
  • 愛知県史編さん委員会編『愛知県史 別編 文化財1 建造物・史跡』愛知県、2006年、415ページ

注意:文化財の概要については、新たな発見や再調査により記載内容が変更となる可能性があります。

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