市指定:絵画 絹本著色登誉上人像

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ページ番号1011721  更新日 2026年1月23日

写真:絹本著色登誉上人像


大樹寺13世登誉天室(?~1571?)の像です。

登誉は相州小田原(現在の神奈川県小田原市)の人で、京都東山一心院から移住したと考えられています。家康の帰依厚く、永禄3年(1560)桶狭間の戦いの後、敗走し大樹寺に逃げ込み自害しようとする家康を「名将ほど命を大切にするものである」と戒めた話は有名です。正装して曲彔(きょくろく)に座る姿は立体的です。「登誉天室上人真影」の箱書があります。

松平家の菩提寺として発展してきた大樹寺は家康が将軍となることにより、まさに大樹(将軍の唐名)の寺となり、徳川将軍家先祖の菩提寺として一層寺格を高めることとなりました。慶長11年(1606)に後陽成天皇から再度勅願所とされ、勅願所綸旨および常紫衣許可の綸旨を受けたのはそのあらわれでしょう。さらに大樹寺は家康の遺言により位牌所とされ、以後代々の将軍の位牌がまつられ、造営修理も幕府の手で行われるようになりました。3代将軍家光は寛永13年(1636)に大樹寺大造営の命を出しました。普請は同15年から始まり同18年に完成、40余棟が完成しました。造営奉行は松平右衛門太夫正綱(正久)と三河代官の松平清左衛門尉親正であり、松平正綱家臣の3名が従事しました。大工は幕府御大工の木原義久、棟梁は平内大隅守正信と平内長右衛門尉正利です。近世における大樹寺の景観は天文4年(1535)建立の多宝塔を除き、ほぼこの寛永期の建立によって整えられました。延享3年(1746)の「本末御改帳」によると塔頭10軒、末寺29寺と記されています。

ふりがな
けんぽんちゃくしょくとうよしょうにんぞう
指定(種別)
岡崎市指定文化財(絵画)
員数
1幅
指定年月日
平成19年12月18日
所在地
岡崎市鴨田町字広元
所有者
大樹寺
管理者
岡崎市美術博物館(高隆寺町)寄託
時代
室町時代
参考文献
  • 『新編岡崎市史 第17巻 美術工芸』新編岡崎市史編さん委員会、1984年、436ページ
  • 『三河浄土宗寺院の名宝 浄土へのいざない』岡崎市美術博物館、2011年、50ページ

注意:文化財の概要については、新たな発見や再調査により記載内容が変更となる可能性があります。

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